花 鳥 風 月 3

 話は少し時間を遡る。博雅がここ、深谷寺みやでらを訪れる少し前、住職を訪れた者達がいた。一人は最近ここに出入りしている者で、もう一人は深谷寺に祭られているものに所望された者だ。二人共住職とは顔見知りである。

「お久し振りです乗垂じょうすい様。いつもながらこのような成りのご挨拶で申し訳ございません。」

 そう言って頭を下げたのは顔を見せぬ姿で参上した時行だった。その隣には男聖こと紅蓮が立つ。そして乗垂と目で会話を交わすと、軽くお辞儀をして時行と共にある場所へと向かった。

「いつもながらとは言ったが、まだ三度目だろう?」

 そう言った紅蓮に対し、そうだっけ?と時行は首を傾げる。そんな時行に苦笑をした後、紅蓮は足を止めてつと自分達の上を見上げ、屋根代わりになっている木々を見つめた。時行は気に止める風もなく先へと進んでいた。ぐるりと首を一巡らしすると、紅蓮は小走りで彼の後を追いかけた。

「歓迎されているな、お前は。」

「嫌われていないことは分かる。ただ、ちょっと気配が多過ぎやしないか?」

 視界を遮っている所為か、久し振りに訪れた所為か時行は紅蓮よりも敏感に気配を察していた。紅蓮はその言葉を受けて、今度は目を閉じてゆっくりと肩の力を抜く。再び目を開けた時、紅蓮の視界には時行が一本だけ掛けられた丸木橋の手前に立ち止まっている姿があった。紅蓮は橋の上に乗ると少しだけ先に進み、すっと時行に手を伸ばす。遠慮勝ちにその手を握ると時行はゆっくりと一歩ずつ歩を進ませた。距離自体は大した事はないのだが、二人の眼下には底すらも知れないような暗い地底への入り口が広がっていた。

「相変わらず怖がりだな。」

 くすくすと笑う紅蓮に対し、時行は反論しようとするが言葉がしどろもどろになって大した反論が出来ず、そうこうしているうちに対岸に到着した。

「・・・・・・紅蓮。」

 ぱさっと被衣を取り払った時行が絶句する。丸木橋よりも奥、現在二人がいる場所は元々残留思念が強い場所だった。時行が絶句したのは、この場所の念が今まで来た以上に濃いからだった。

「人の夢枕に立って要求してきたくらいだ。連絡が行き届いているんだろう。それだけお前の踊りに興味があるってことだ。」

 さらりと言ってのけると、紅蓮は予め木陰に敷いていた毛氈もうせんの上に同じく予め近くの木に立てかけておいた和琴を安置し、紐を解いて袋を取り払った。

「扇情的だとか野蛮だとか、まあ色々言われるけどな。」

「舞いとは違うんだ。当然だろう?しかしながら幼子に舞いは退屈だろうよ。」

 時行には目をくれず、紅蓮は和琴の弦を調整する。

 ここの寺院が祭っているものは、名も無き幼子達だ。かなり昔から児棄こきの山として使われていた場所に、彼等を慰める為に寺を建立した。それが深谷寺だ。飢饉の時、争いの種にしかならないような場合の落胤らくいん、口減らし、器量が悪い、五体のいずれかが欠落したものなど、実に様々な理由で幼子のみが棄てられた場所だ。いつからそうなったのかは誰も知らず、老人を棄てようとすると祟る。そんな噂さえ飛び交っていた。

 深谷寺が建立された後も、女人や子供が入ると不幸が続いた為、いつしか成人男性のみしか入山出来なくなってしまった。また、成人男性でも日頃の行いによっては不幸に見舞われることがあると言われている。

 空に向かい、時行の声変わりしていない高い声が祝詞を発する。次に同じ祝詞を、時行とは異なる独特の高い声で紅蓮が発する。三度目はまるで歌い上げるかの如く二人の唱和が結界内の力をふるわせ、そして空気を震わせてゆく。静かなこだまが納まった後、和琴の上に置かれていた紅蓮の指が動き出す。

 曲目を確認すると同時に、時行がゆるりゆるりと動き出してゆく。その動きが激しくなっていくのはもう間もなくの事であった。

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